FC2ブログ

ENDOR雑記

束、洋書関連の個人的メモ書き。

12/1.2.3.4.5.6.7.8.9.10.11.12.13.14.15.16.17.18.19.20.21.22.23.24.25.26.27.28.29.30.31./02

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

category: スポンサー広告

[edit]

trackback: -- | comment: --
page top

アイヤ エアレンディル エレニオン アンカリマ!

こんばんわ

すっかり年末になりました。今年もさやうぇんさんのTolkien Adventに参加しています。
さて、突然ですが今回のテーマはエアレンディルです。

指輪物語では古代の神話のイコンであり、ある人物として読者が認識することはあまりないかもしれません。
エアレンディルは下記のごとく、ただ物語の背景として登場します。


かの女は小さな水晶のびんをかかげました。その手の動きにつれて、びんはきらきら輝きました。そして白い光がその手から発しました。「このびんには、エアレンディルの星の光がわが泉の水に映じたのを集めてあります。そなたの周りを夜が包む時、これはいっそう明るく輝きましょう。暗き場所で、他の光がことごとく消え去った時、これがそなたの明かりとなりますように。」*1

このように、ガラドリエルの玻璃瓶に閉じ込められている光となり、そして、その玻璃瓶を持つフロドがシェロブ退治において放つ、呪文のような言葉にも。

「アイヤ エアレンディル エレニオン アンカリマ!」

なんというか、どっちかというと、神様仏さまエアレンディルさまみたいな感じです。
物語の中でも、空に登ってしまって星になったとありますので、個人というよりは神格化されたものと捉えてよさそうです。

とはいえ、教授にとってはこの「エアレンディル」という名前、言葉は非常に思い入れの深いものであったようです。


まず、このエアレンディルという名前は、教授あるあるではありますが、古英語詩の中から取られていす。

該当部を抜粋してみましょう。

Eala Earendel engla Beorhtast
ofer middangeard monnum sended
おお、エアレンデル、天使らの中にありて光輝きわまりなきもの
人の世に送られて、中つ国の空にかかる*2


これは9世紀の古英語詩人キュネウルフ(Cynewulf)の詩「キリスト」の一節です。

書簡集のN0.297 ラング氏(1967年8月)への手紙の草稿にその思いが綴られています。
まだうら若き頃、初めてアングロサクソンを専門的に学び、上記の詩に触れ、この言葉の美しさにおおいに打たれたそうです。
その手紙の一文を引用しましょう。
――entirely coherent with the normal style of A-S, but euphonic to a peculiar degree in that pleasing but not 'delectable' language.

ざっと訳すと

――アングロサクソンの通常の文体と完全に合致しながらも、特有の音感が美しく喜ばしく、それでいて、「おいしそうな言語」ではない。

という感じでしょうか。'delectable' languageの解釈が難しいのですが、おそらくは、アングロサクソン言語はどちらかというと優美なエレガントなイメージよりも、筋肉質で質実剛健なイメージが強い……というところから来ているのかもしれません。

そしてこの言葉は明らかに一般名詞ではなく固有名詞である、とあり、若き日の教授は想像力を脹らませ、ほぼ直観的に宇宙創生神話の金星を指すのだろうとひらめいたのだそうです。
太陽が昇る前の暁に輝く金星。
そしてこのエアレンディルを主題にして詩を書き、自らの創作「指輪物語」のモチーフとして登場させたのです。

このように若いころの詩作でも、みなさまおなじみの指輪物語でも、神話の中のイコンとしてエアレンディルは神格化されています。
ところがその「シルマリルを額に掲げて暁の空を照らす」エアレンディルが、非常に身近に感じられる、血肉の通ったキャラクターとして描かれている物語があります。

それが、今年の夏刊行された「ゴンドリンの陥落」です。
ここでのエアレンディルは、まだ暁の明星と化した勇敢なる航海者ではなく、まだトゥオルとイドリルの子供としての愛らしい幼子エアレンディルです。それほど出番は多くないのですが、実に可愛らしいエアレンディルが描かれています。

それにしても、エアレンディルという美しい響きを持つ言葉、後に神話のイコンとなるものに、こうした生き生きとした「生身」を感じさせる描写が与えられていることに驚きを禁じ得ません。

この落差というかギャップがトールキンの作品を指輪単体で読むだけではなく、シルマリル、UTそしてHoMeと掘り下げていくうちに、さらに指輪物語やホビットの世界が輻湊化され魅力を増してゆく要因なのだと思います。

『ゴンドリンの陥落』では、エアレンディルだけではなく、グロールフィンデル、エクセリオンといった宗主たちの活躍、失われた都の栄華が、後の物語の枠組みを通して、より鮮明になって立ち現れるように思えます。
指輪物語、ホビットでは遠い昔の伝説が記録され、物語として書き残されていること(とその設定)に驚きと、なにか不思議な感慨を覚えずにはいられません。

今でこそ、世界の創生から作り上げるファンタジーは百花繚乱の趣ですが、先駆者でありながらも、他の追髄をゆるさぬ世界の深さにますます魅入られるばかりのこのごろです。



*1 『指輪物語 旅の仲間 下』「八 さらば、ロリアン」 フロドに玻璃瓶を授ける時のガラドリエルの言葉
*2『J.R.R.トールキン 或る伝記』より






スポンサーサイト

category: トールキン

[edit]

page top

ラスト オブ ゴンドリン




The Fall of Gondolin


この度発刊となった、おそらく、クリストファ氏最後となろう父君、トールキン教授(以下教授)の書籍。
なんとも感慨深いものです。
キンドル版とハードカバーを入手しました。読むよりも先にアラン・リー氏の美しい挿画に見惚れた方も多いように見受けます。わたしもそうです。

さて挿絵はさておき、わたしはここで本編についてレビューというのもおこがましい、そのようなのものを書こうと思っています。
ネタバレと受け取られる趣もないではないので、繊細な方はここらでそっとウィンドウを閉じてくださいな。

まずざっとした概観を大まかに俯瞰していきましょう。


序文

プロローグ
最初の物語(HoMe二巻収録)
初期のテクスト
(HoMe二巻収録の短い初期テクスト)
テュルリンとゴンドリンの流浪
(HoMe四巻収録の短いテクスト)
神話スケッチの物語
(HoMe四巻収録のテクスト)
クエンタ・ノルドリンワの物語
(HoMe四巻収録のテクスト)
最終稿
(UT収録)
物語の進展
結末
(HoMe四巻収録の上記テキストより抜粋)

名前リスト
付記
グロッサリー

まあ、目次をなんとなく日本語にしただけみたいだがそうです。

最初の物語は二巻収録で、HoMe読書会の初回で取り上げました。
いわゆる「ゴンドリンの陥落」はこれです。
サイト→http://hmiddleearth.web.fc2.com/
ゴンドリンの陥落のトギャなど、量がわりと多いのですが、もしかしたら参考になるかもしれません。
(前回のティヌーヴィエルは工事中です。すみません。)

以降、UT収録の「最終稿」までは、教授原稿にクリストファ氏の解説をはさんだいつものパターン。
収録された原稿が既刊のものとまったく同一であるかは、一字一句照会していないのでわかりません。あと、統一のためにクリストファ氏が変更した部分もあるようですね(よくある)。

「物語の進展」では、教授の書簡集等、様々な角度から、なぜ執筆が挫折したのかを探っています。
シルマリルの物語が頓挫したのは、出版関連の軋轢が主たるものです。
それでも三部作(フーリンの子等、ベレンとルーシエン、ゴンドリン)のうち、初期のゴンドリンだけが、メインたる都陥落部を書き直されなかったことが、クリストファ氏としてどうしても納得がいかないように(一読者として)感じます。
しかしないものはないという……。
ないんですなーーー

結末
ここでは、神話スケッチとクエンタ・ノルドリンワの終末部が掲載されています。シルマリルの物語の結末部にあたるところです。
シルマリルの物語の終わりでありながら、アルダの世界の終末でもある部分です。

細部に違いはあるものの、「最後の大戦でメルコールが永久追放され、シルマリルは全てヴァラールの手元に戻り、二つの樹の光が再現し、世界が新たに作り直される」
という大軸が繰り返されています。

以下、私的な所感となります。

最後の「結末」では、「フーリンの子等」に書かれたクリストファ氏の一文が繰り返されて、締めくくりとなっています。
要約すると

「クエンタ・ノルドリンワ」は、私の父が想像した世界の広がりの境界域である。それは、第一紀の歴史ではない。なぜならホビットも指輪物語も当時なかったのだから。

となります。

ここで明らかなことは、この時点で、教授のアルダの終末観が定まっていたということでしょう。
ホビットや指輪が誕生する前に、教授の創作の臨界点はすでに定まっていたことを、クリストファ氏は読者に伝えたいのだと私は思います。
このクエンタ・ノルドリンワが執筆された1930年代後半には、アルダの歴史は創生から終末までの大枠が形成されていたことになります。以降、細部や意図する要因など様々な変化はあれど、世界観の揺らぎはなかったのではないかと私は思います。

同じ文の繰り返しをおそらく最後の出版となる書籍の末尾に置くことに、氏の思いの強さが伝わってくるようです。

推測するに、クリストファ氏は出版社の要請と父たる教授の「シルマリルを世に出したかった」という想いを受けて、
「シルマリルの物語」を編纂したものの、やはり、それは「父が生きていたならばそうなっていたはず」のものには程遠いということを確信しているのではなかろうかと思うのです。

それゆえに、HoMe12巻とその後の三部作の出版を敢行したのでしょう。外部の要望もあったとは思いますが、ホビットの草稿のように他の研究者が刊行してもかまわなかったことですから。

「父が生きていたならばそうなっていたはず」のシルマリルの物語は、クリストファ氏のみならず、全世界のファンが切望するものですが、これらのあまりにも散逸した草稿と辻褄の合い難さにそれはどのような研究者であっても不可能なことであると思われます。
ゆえに、草稿をある限りまとめて出版するという形が氏にとってベストであったのかもしれません。なにより、この高齢に至るまで、あまたある草稿を解説付きで世に出してくれたクリストファ氏に感謝の意を示さない読者はいないでしょう。

そして私個人としては、アルダの終末、シルマリルを奪還する場面において、ひとつの草稿にはマイズロスが登場し、もう一つにはフェアノールが登場する。この両方があっていいのです。




両方あるのがとてもいいのです。

Tolkien Writing Dayに参加しています。

category: 読書感想

[edit]

page top

The Cottage of Lost Playの暖炉の火


さてクリスマスアドベント。
こちらに参加いたしております→トールキンアドベントカレンダー
今回はLost Talesのはじまりのはじまり
The Cottage of Lost Playからです。
しかし、HoMe一巻を語ろうとすると、初期設定を一から紹介せねばならなぬのですが、
まあシルマリルの原型といってしまえばそうです。
しかしシルマリルの物語がさらなる物語で梱包されているのです。文学の用語でいうと枠物語。

それがエルフの島、トルエレッセアとエリオルの物語です。この枠物語、美しい包み紙はシルマリルというあまりにも大きな骨格を包み切れなかったようですが……。

HoMe一巻、一章のThe Cottage of Lost Playを読むと、とても不思議な気分になります。なぜならそこは慣れ親しんだ中つ国でも、神々が住まうヴァリノアでもない空気に満ちているからです。ビルボもフロドもいません……ホビットはまだ教授の世界にいないのです。でも、エアレンデルや、エルフの三支族、ノルドールの苦難など、後のトールキン神話の主要モチーフがこのころすでに登場し、後の物語がすでに芽生えていたことに驚きます。

エルフの島、トル・エレッセアにやってきた旅人エリオルと、かれを客として受け入れる、リンドとヴァイレ夫妻。
情景描写と語りの中には、トールキン独特の語感を持つ固有名詞がいくつか出てきます。

そうした言葉をいくつかあげてみましょう。

Alalminore or the “Land of Elms”,
アルミノレ「楡の地」
ノーム語ではGar Lossion,ガル・ロッション「花の場所」

Tombo, the Gong of the Children,
トンボ「「子供たちの銅鑼」

Room of the Log Fire
語りのための「暖炉の部屋」

Tale-fire blazing in the Room of Log
暖炉の部屋で燃える物語の火

the Sleeper in the Tower of Pearl
「真珠の塔に眠る者たち」

the Arbour of the Thrushes
「つぐみの東屋」
これは、ティヌーヴィエルの物語にも出てきましたね!

それぞれを説明していると、ブログがとても長くなってしまうので一つだけ取り上げましょう。

Lost Talesは、トル・エレッセアのエルフから旅人エリオルが物語を聞くといった形式になっています。
様々な場所で様々なエルフから話を聞くのですが、中心となるのが「Room of the Log Fire」
語りのための「暖炉の部屋」です。

これは、リンドとヴァイレ夫妻の館にある部屋です。
リンドとヴァイレは、トル・エレッセアの真ん中に位置する町の領主であり、この館はかなり広いようです。
そして、夜になると町の人々(エルフ)が集ってきます。食事と飲み物が振る舞われ、その後に語り手が物語を語る……。

一文を引用してみましょう。

‘That,’ said Vaire, ‘is the Tale-fire blazing in the Room of Logs; there does it burn all through the year, for ’tis a magic fire, and greatly aids the teller in his tale?but thither we now go,’

「そうです」
とヴァイレは言いました。
「これは暖炉の部屋で燃える物語の火です。一年を通して燃えているのは、魔法の火だからです。そして語りてを大いに励ましてくれるのです。でもいまはこちら(宴会の間)にいきましょう」


「指輪物語」のエルロンドの館の「火の広間」を彷彿とさせますね。
一年を通じて燃えている火も、ここで「物語の火(Tale-fire)」として登場します。
実際、読み比べてみると、とても似ている場所であることがわかります。

とても居心地のよい部屋で、心躍る物語を聞くことほど素敵なことはない……と思ってしまえますね!

エリオルのように、フロドのように、冬の長い夜をそんなふうに過ごせたらどんなに幸せでしょうか!!

声はなくとも暖かい部屋でお話しを読むことは今のわたしにもできること。
ほかほかの飲み物を用意したら夜の読書は至福でございます……。





category: 読書感想

[edit]

page top

トールキン夫妻の墓碑 ベレンとルーシエン



さて、年末も押し迫ってまいりましたクリスマスアドベントでございます。
こちらの→トールキンアドベントカレンダーに参加しております。

今年は、ベレンとルーシエンの一年(半年)でしたね。
おそらくはクリストファ氏最後の編纂になるだろう『ベレンとルーシエン』、アラン・リー氏による美しいカレンダー。もっともカレンダーは2017年なので、これから一年楽しめますね!!

来年はトールキン自身の映画化からアマゾンのドラマシリーズと盛りだくさんです。

そして、今回のブログは、トールキンファンならみなさまご存じのエピソードから。
トールキン夫妻の墓碑には「ベレン」、「ルーシエン」の刻字がなされています。
この墓碑に関する教授の手紙をご紹介しましょう。

妻エディスの墓碑に「ルーシエン」と刻んでほしいという依頼は、1972年7月11日のクリストファ氏あての手紙に書かれています。下記、書簡集からの引用です。

I have at last got busy about Mummy’s grave. . . . . The inscription I should like is: EDITH MARY TOLKIEN 1889–1971 Lúthien : brief and jejune, except for Lúthien, which says for me more than a multitude of words: for she was (and knew she was)
(私訳)
ようやくママのお墓に専心することができたよ……。碑文には、
EDITH MARY TOLKIEN 1889–1971 1 Lúthien
と、Lúthien,以外は簡潔で意趣もなくしてほしい。Lúthienは、どれほどの言葉を尽くそうともこれ以上に彼女を語る言葉は、私にとってない。(彼女もそれを知っていた)

Say what you feel, without reservation, about this addition.

この付記について、お前が思うことを遠慮なくいってほしい。


とあります。また、


I never called Edith Lúthien – but she was the source of the story that in time became the chief part of the Silmarillion. It was first conceived in a small woodland glade filled with hemlocks at Roos in Yorkshire (where I was for a brief time in command of an outpost of the Humber Garrison in 1917, and she was able to live with me for a while).

In those days her hair was raven, her skin clear, her eyes brighter than you have seen them, and she could sing – and dance.

(私訳)

私はエディスをルーシエンと呼んだことはなかった――しかし、当時、彼女はシルマリルリオンの主要部分となるあの物語の源泉であったのだ。
ヨークシャーのルース(1917年の短期間滞在した、ハンバーガリソンの駐屯地のある場所。エディスと私はしばし一緒に住むことができた)で、ヘムロックが群生する小さな森の谷間で最初にその物語を思いついた。

この頃、彼女の髪は烏の濡羽のごとく黒く、肌は透き通るようで、瞳はお前たちが知るよりもずっと輝いていた。そして彼女は歌い――踊ったのだ。


ベレンとルーシエンが出会うドリアスの森には、初期版からヘムロックの花が咲き乱れていました。若き日の黒髪のエディスはルーシエンのように歌い、踊ったのでしょう……。そんな彼女にトールキンはベレンのようにすっかり心奪われてしまったのでしょうか。

けれどもそこから続く手紙の文面には、苦渋のあとが窺え、トールキン夫妻が後に辿った人生の様子が垣間見れるようです。

But the story has gone crooked, & I am left, and I cannot plead before the inexorable Mandos. I will say no more now.

– someone close in heart to me should know something about things that records do not record: the dreadful sufferings of our childhoods, from which we rescued one another, but could not wholly heal the wounds that later often proved disabling; the sufferings that we endured after our love began – all of which (over and above our personal weaknesses) might help to make pardonable, or understandable, the lapses and darknesses which at times marred our lives – and to explain how these never touched our depths nor dimmed our memories of our youthful love

(私訳)
だけど、その物語は歪んでしまい、私は一人残されてしまった。そして私は容赦ないマンドスの前で懇願することもできない。
これ以上は何も言わないでおこう。

――私の心に近しい人ならこの件についていくばくは知っているだろう。記録は記録どおりではないのだ。私たちは、子供の頃に受けた恐ろしい苦しみから、お互いを救い上げてきた。しかし、すべての傷を癒すことはできず、後になって、手も足もでなくなることがしばしばあった。私たちの愛が始まった後も続く苦しみに耐えてきたのだ。それらのすべては、私たちの生活をしばしば損なう衰退と闇を(とりわけ個人的な弱さを)、許しあう、あるいは理解しあう一助となったかもしれない――。
あるいは、このようなことがあったとしても、私たちの若き日の愛の深さに触れることなく、その記憶を曇らせはしなかったという証しとなったことを。


とても胸を打つ内容です。
なにか付け加えるのも憚られるようで、私訳も拙く申し訳ない限りです。本来なら文章に長けた翻訳家がなすべき仕事でしょうが、致し方なく……。

トールキンの晩年は、片手間に書いた(と見られがちな)小説が大いに売れ、長年連れ添った妻に、子供、孫にも恵まれ、幸福な晩年を送ったイメージが強く、またそうだったと言えるでしょう。

ただ指輪物語,、シルマリルにも描かれる「闇」はそのままに彼の心中にあったものだということに、今更ながら気づくのです。













category: トールキン

[edit]

page top

エルフは草食系か脳筋系か?

クリスマスも近いこのごろ。
みなさまいかが いやツイッターでの狭い範囲でなら存じております。元気な人も風邪をひいている人も

突然ですが、エルフといえば、トールキン原作のLOTR映画が世に出るまでは妖精、つまりフェアリーを少しかっこよくいったようなイメージだったと思います。羽が生えてふわふわしている。

けれどもLOTRのレゴラスがでてきて、やたら筋肉質になりました。フェアリーとは異なるエルフのイメージが世間に確立されていきました。
それでも世間一般のエルフは草食ぽいです。その話題をツイッタのTLでみるたび、束エルフは肉食べます。
と心のなかで唱えています。まあ、余談です。

束エルフはわたしのいとしのエルフです。大好きです。しかし視覚的イメージが難しい。
束エルフはめんどうです。種族がいっぱいあり、歴史も様々で、原作者であるトールキン教授のイメージも経年変化があるようです。

というこっとで今回は、原作者のトールキン教授が描いたエルフを見てみましょう。
教授は絵がバリバリ上手いです。ホビット表紙のカバーイラストが原作者であることを知らないかたもいるでしょう。
素人です信じられん。ご本人も自分の絵を挿絵にするなんてとんでもない的なことをおっしゃっていますが、美しくかわいいイラストは並のイラストレーターでは太刀打ちできないクオリティです。

そんな教授のエルフ。
どんなんやねん。
いやそれがな
教授、絵上手なんですが、たまに指摘がありますが、人体の造詣についてはやはりきちんと勉強したプロ顔負けというわけにはいかないのでした。

うん。

著作権上のこともあるので、わたしがてきとーに教授が描いたエルフをもとにしたイラストを貼りますね。
こんなんです。これは、評論社の『ファーザー・クリスマス サンタ・クロースからの手紙』に出てくるエルフを参考にしました。

北極

次はべレグです。ハモンド&スカル社のトールキンイラスト集のNo,54を参考にしました。べレグの右上にぐでんと細長いグウィンドールがいますが割愛¨¨。
べレグ

ちっさかったらクリックで大きくなります(大きくなりすぎるのでツラいです)。

まあ、割と細長くて、足は筋肉質ですね。髪は基本長髪ぽいですが、短いエルフもいるようです。
あと、先細りの靴を履いているようです。歩きにくくないかね?

はっきり言って

参考になりません。


しかし、ふわふわの妖精路線はないと考えてよさそうです。北極エルフ(かってにそう呼んでごめんなさい)は、ものすごくフェアリーぽくもなければ、今の「エルフ」ぽくもありません。なんといえばいいのか、MSワードの無料イラストに出てくるヒトに少し似ています。緑と赤の服(二パターン)があって、サンタさんが赤の上衣に緑のズボンという設定がかわいいですね!
カワ(・∀・)イイ!!ですね!!

そして、ベレグ¨¨。なんで髭はえてんねん。
髭はキアダンみたいな化石になるまで(なってないけど)長く生きたエルフに生えるものではなかったのか?

ただし、ベレグがゆるいウェーブの長髪というのは多分いいことでしょう。
シルマリルおよび、遺稿集などを読むと、エルフがどのような服装をしていたのか、多少の描写がありますが、長いマントだったり、頭に冠だったり、宝石だったりです。あまり細かくはないですね。ざっくりしています。ただ、

一番わたしが困惑したのは、フェアノール(とその息子)たちの兜に羽根飾りがついている。
というところです。

フランスの騎兵隊がたしかそんな兜をかぶっていました。あとローマ時代の兜も羽根がついていました。
時代がむちゃくちゃではないか?!
余談に逸れすぎました。

ここまで書いてなんとなく結論めいたものが出ました。
わりと、細いが、筋肉はある。先細りの靴をはいている。
のがトールキンエルフの特徴かもしれない。
かもしれないなのは、実例が少なすぎるからです。

ではでは。みなさまよいクリスマスを!!


このブログはトールキンアドベントカレンダーに参加しています!




category: 読書感想

[edit]

page top
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。