ENDOR雑記

束、洋書関連の個人的メモ書き。

01/1.2.3.4.5.6.7.8.9.10.11.12.13.14.15.16.17.18.19.20.21.22.23.24.25.26.27.28./03

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

category: スポンサー広告

[edit]

trackback: -- | comment: --
page top

トールキン夫妻の墓碑 ベレンとルーシエン



さて、年末も押し迫ってまいりましたクリスマスアドベントでございます。
こちらの→トールキンアドベントカレンダーに参加しております。

今年は、ベレンとルーシエンの一年(半年)でしたね。
おそらくはクリストファ氏最後の編纂になるだろう『ベレンとルーシエン』、アラン・リー氏による美しいカレンダー。もっともカレンダーは2017年なので、これから一年楽しめますね!!

来年はトールキン自身の映画化からアマゾンのドラマシリーズと盛りだくさんです。

そして、今回のブログは、トールキンファンならみなさまご存じのエピソードから。
トールキン夫妻の墓碑には「ベレン」、「ルーシエン」の刻字がなされています。
この墓碑に関する教授の手紙をご紹介しましょう。

妻エディスの墓碑に「ルーシエン」と刻んでほしいという依頼は、1972年7月11日のクリストファ氏あての手紙に書かれています。下記、書簡集からの引用です。

I have at last got busy about Mummy’s grave. . . . . The inscription I should like is: EDITH MARY TOLKIEN 1889–1971 Lúthien : brief and jejune, except for Lúthien, which says for me more than a multitude of words: for she was (and knew she was)
(私訳)
ようやくママのお墓に専心することができたよ……。碑文には、
EDITH MARY TOLKIEN 1889–1971 1 Lúthien
と、Lúthien,以外は簡潔で意趣もなくしてほしい。Lúthienは、どれほどの言葉を尽くそうともこれ以上に彼女を語る言葉は、私にとってない。(彼女もそれを知っていた)

Say what you feel, without reservation, about this addition.

この付記について、お前が思うことを遠慮なくいってほしい。


とあります。また、


I never called Edith Lúthien – but she was the source of the story that in time became the chief part of the Silmarillion. It was first conceived in a small woodland glade filled with hemlocks at Roos in Yorkshire (where I was for a brief time in command of an outpost of the Humber Garrison in 1917, and she was able to live with me for a while).

In those days her hair was raven, her skin clear, her eyes brighter than you have seen them, and she could sing – and dance.

(私訳)

私はエディスをルーシエンと呼んだことはなかった――しかし、当時、彼女はシルマリルリオンの主要部分となるあの物語の源泉であったのだ。
ヨークシャーのルース(1917年の短期間滞在した、ハンバーガリソンの駐屯地のある場所。エディスと私はしばし一緒に住むことができた)で、ヘムロックが群生する小さな森の谷間で最初にその物語を思いついた。

この頃、彼女の髪は烏の濡羽のごとく黒く、肌は透き通るようで、瞳はお前たちが知るよりもずっと輝いていた。そして彼女は歌い――踊ったのだ。


ベレンとルーシエンが出会うドリアスの森には、初期版からヘムロックの花が咲き乱れていました。若き日の黒髪のエディスはルーシエンのように歌い、踊ったのでしょう……。そんな彼女にトールキンはベレンのようにすっかり心奪われてしまったのでしょうか。

けれどもそこから続く手紙の文面には、苦渋のあとが窺え、トールキン夫妻が後に辿った人生の様子が垣間見れるようです。

But the story has gone crooked, & I am left, and I cannot plead before the inexorable Mandos. I will say no more now.

– someone close in heart to me should know something about things that records do not record: the dreadful sufferings of our childhoods, from which we rescued one another, but could not wholly heal the wounds that later often proved disabling; the sufferings that we endured after our love began – all of which (over and above our personal weaknesses) might help to make pardonable, or understandable, the lapses and darknesses which at times marred our lives – and to explain how these never touched our depths nor dimmed our memories of our youthful love

(私訳)
だけど、その物語は歪んでしまい、私は一人残されてしまった。そして私は容赦ないマンドスの前で懇願することもできない。
これ以上は何も言わないでおこう。

――私の心に近しい人ならこの件についていくばくは知っているだろう。記録は記録どおりではないのだ。私たちは、子供の頃に受けた恐ろしい苦しみから、お互いを救い上げてきた。しかし、すべての傷を癒すことはできず、後になって、手も足もでなくなることがしばしばあった。私たちの愛が始まった後も続く苦しみに耐えてきたのだ。それらのすべては、私たちの生活をしばしば損なう衰退と闇を(とりわけ個人的な弱さを)、許しあう、あるいは理解しあう一助となったかもしれない――。
あるいは、このようなことがあったとしても、私たちの若き日の愛の深さに触れることなく、その記憶を曇らせはしなかったという証しとなったことを。


とても胸を打つ内容です。
なにか付け加えるのも憚られるようで、私訳も拙く申し訳ない限りです。本来なら文章に長けた翻訳家がなすべき仕事でしょうが、致し方なく……。

トールキンの晩年は、片手間に書いた(と見られがちな)小説が大いに売れ、長年連れ添った妻に、子供、孫にも恵まれ、幸福な晩年を送ったイメージが強く、またそうだったと言えるでしょう。

ただ指輪物語,、シルマリルにも描かれる「闇」はそのままに彼の心中にあったものだということに、今更ながら気づくのです。













スポンサーサイト

category: トールキン

[edit]

page top

トールキンソサエティ・ジャーナル Mallornより 

トールキン・ソサエティの会員になると機関紙「アモン・ヘン」が毎月、ジャーナル「Mallorn」が年に二回送られてきます。

どちらもぱらぱらと目を通すぐらいでじっくり読んだりすることは稀(^^;)なのですが、今回の「Mallorn」になかなか面白い記事がのっていたので、少しまとめてみます。記事寄稿者はトールキン研究では大層有名なトム・シッピー氏。内容は2009年に出版された下記トールキン研究本『The Epic Realm of Tolkien - Part One - Beren and Luthien』に対するレビュー、あるいは痛烈な批評またはお叱りです。

この本ではシルマリルからHoMeに掲載されているベレンとルーシアンの物語のソース・マテリアル、つまり教授流に言うとスープの出汁の元各種を取り上げ、それぞれを掘り下げてみたもののようです。アーサー王伝説との関わりがあるものが軸となっています。
例えば

マギノギオン 「キルッフとオルウェン」(初期アーサー伝説として)
ヴォルフラム・フォン・エッシェンバッハの「パルツィヴァール」 
中世詩 「かっこうとナイチンゲール」
(http://www.everypoet.com/archive/poetry/Geoffrey_Chaucer/chaucer_poems_THE_CUCKOO_AND_THE_NIGHTINGALE.html)
モンマスのジョフリーによる「ブリテン王列伝」
などなど。

また、ベレンとルーシエンの物語の中に見受けられる具体的なアイテムとして、

初期のベレンとルーシエンの物語に登場する猫のプリンス、テヴィルド(Tevildo)のモデルとして ウェールズの民話に出てくる悪魔の猫 キャスパリーグ
カルカラス(Karkaras)のモデルとして、マギノギオンのトゥルフ・トルイス (大イノシシ狩りの話)
が挙げられ、上記の二つのアイテムに関してはシッピ―氏も「ソースとしてもっともらしい」と認めています。

ですが、確かに類似点はあるもののトールキンがソースとしたかどうかは疑わしいとシッピー氏が指摘するものも多々あるようです。

一つには中世詩の「かっこうとナイチンゲール」。シッピ―氏によると、トールキンがこの詩を知っていたことは勿論ありうるが、それよりも古い「フクロウとナイチンゲール」の詩により強い興味を抱いていたと反論しています。「フクロウとナイチンゲイール」は、オックスフォードのシラバスにもある作品だし、さらには「フクロウとナイチンゲール」の作者とされるNicholas Guildfordの名を、トールキンは『Notion Club Papers』の登場人物に拝借しているではないか!と大反撃。そして前者のナイチンゲールは真の愛と精神の向上を表すのに対し、後者は不義と不貞を表しているといったところで矛盾が見られる。よって、前者からのみナイチンゲールの解釈を引き出そうとするのは無理があるというわけです。

また、エッシェンバッハのパルツィヴァールに関しても、探求の対象といった意味合いで聖杯とシルマリルを同等視する論説が展開されるのですが、それに対しても、シッピー氏はドイツの聖杯伝説にトールキン教授が興味を示さなかったわけではないが、それは北欧の伝説となんらかの関連を持つ場合に限ると主張します。

さらに、モンマスのジョフリーによる「ブリテン王列伝」にも初期のアーサー王伝説の要素が数多く含まれています。そこでトールキンは「失われた物語(Lost tales 1、2)で、ブリテン王列伝が書かれた当時の元ネタであるイングランドのアーサー王伝説を再構築しようとしたのだろうという仮説が打ち立てられています。これもシッピ―氏は、著者の「ブリテン王列伝」の解釈(一部のラテン語の解釈)に誤りがあるとして退けています。

全体的に手厳しい内容となっていて、間違いを指摘するだけではなく「似たものを並べただけじゃくそつまらん! そっから先になにもないなのか!!」とドカドカしている様子が目に浮かぶようでした。トールキン研究本もこれまでに(海外では)多数出版され、新しい切り口を見つけるのが難しくなってきているのかもしれませんね。

The Epic Realm of Tolkien - Part One - Beren and Luthien
Alex Lewis (Author), Elizabeth Currie (Author)
(http://www.tolkienlibrary.com/press/903-Epic_Realm_of_Tolkien.php)


category: トールキン

[edit]

page top
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。