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ENDOR雑記

束、洋書関連の個人的メモ書き。

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海に帰る日 by ジョン・バンヴィル


ツイッタのTLでジョン・バンヴィルの名を見かけ、なかなか面白そうな作家に思えたので、2005年のブッカー賞受賞作を読んでみた。
アマゾン→http://amzn.to/deRjnB
あらすじはアマゾンのレビューを参照。

緻密かつ繊細。まるで極上のヨーロッパ映画を見るかのよう。読み終わった後、愛と感動に満たされ、静謐な美しさに心が打ち震える……。

などといったキャプションが頭に浮かぶ。こうした宣伝文句を巻きつけて店頭に積まれる本が、日本だけでも一年に何冊出版されることだろう。「静かにあなたの心に語りかける」とかなんとか。目に優しく読み心地の穏やかなフレーズを積み重ねてゆくこの種の文学。なんかカテゴリーがあるんだろうか? ともかく、そうした雰囲気を持つ作品群のひとつだ。ありきたりでつまらないといいたいわけではない。むしろ好きだ。例えば、主人公と妻が診療室にいる最初の場面には、思わず目を細めたくなるほどの透明な光に満ちている。この光に浸る快楽には、エウフォリアというカタカナの語感がふさわしい。と気取ってみる。

しかし「そして、わたしの人生は永遠に変わってしまった」という一文にぶち当たって、少し酔いがさめた。青少年向けの気恥しい恋愛物などに頻出するこの手の一文。私の場合、短い(?)半生を振り返ってみても、人生が永遠に変わった瞬間など一度たりともない。それなので、これを目にした後では、心の隅でふつふつと疑念が沸き続け、安心して作家の懐に自分を委ねることができなくなってしまう。事の真贋を問い詰めようとしているわけではない。そこらへんによくある表現を引っ張ってきてやしないか? と額に皺を寄せているだけだ。書店に山積みになっている本なぞ、そこらへんによくある表現=定型表現を上手くパッチワークしただけでできているものが大半だ。

パッチワーク。使い古された常套句のつぎはぎ、である。もっともこの技に長けることが、出版に携わる文筆家の必須条件らしいことが最近なんとなく分かってきた。定型表現には利点がある。伝達が速く、読み手に安心感を与える。書き手も一文一文こねくりまわす手間が省ける。その反面、おそろしく退屈な代物が出来上ってしまったりする。私にとって「そして、わたしの人生は永遠に変わってしまった」という一文は、その退屈さを予兆するフレーズでもあるのだ。

筆者が紡ぎだす情景の美しさは、最後の一文字まで余すことなく味わうことができたのだが、主人公がナルシズムにどっぷりと浸って繰り広げる自分語りと蘊蓄の中身は、予感した通り、ありきたりで少しうざったく感じた――ということで、感想おわり。

とはならなかった。それだけでは終わらなかった。

終わらせることができなかったのは、もう物語も終わる頃に出会った二つのフレーズのせいだ。以下引用。

「結局のところ、その辺のメロドラマ作家と同じ様に、物語の結末を一ひねりしてきれいにまとめられるなら、あえてそうしてはならない理由があるのだろうか」

「みごとな結末ではないだろうか!」

この多少自虐的な傾向が見られる二フレーズ間に、作品のクライマックスであり、当然のことながら最も美しく感動的なシーンがサンドされている。なにやっとるんじゃ……、と半ば呆れた。せっかく練り上げて盛り上げたドラマタイズが台無しではないか。推察するに、バンヴィルは「その辺のメロドラマ作家と同じ様に」に作品をドラマタイズすることが恥ずかしいのではないだろうか。恥ずかしいからこんな文句を言い訳がましくも入れてしまったのではないだろうか……と、苦笑しながらしばし考えた。通俗を拒否する姿勢をほんのちらりとでも見せたかったのだろうか。通俗も定型の踏襲も別段恥じる必要はないと思うのだが、ともかくこれで私の中でバンヴィルの位置が一気に上昇した。(作家としての矜持なのか、それとも他に要因があるのか分からないが)通俗と定型の踏襲を恥じ、また恥じている自身を曝すバンヴィルに乾杯しよう。






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Bright of the Sky (Entire and the Rose, Book 1) by Kay Kenyon



ジャンル:文字通りのSFファンタジ―
対象:青年から大人向け
アマゾン:http://www.amazon.com/exec/obidos/ASIN/1591025419/
フィリップ・K・ディック賞、ジョン・W・キャンベル新人賞にノミネートされた作家だそうだ。

のっけから宇宙ステーションやワープなどという単語が目に飛び込み、すわ古典的SFへの回帰か? と思いきや全くそうではなかった。一応さわりなんぞを書いておこう。

――時は23世紀、ミネルヴァ社の宇宙船が一隻、星空間に消えた。一人生還したパイロットは記憶を喪失し、廃人同様。この事故で妻と娘を失い、すっかりひきこもりとなった彼が主人公クイン(Quinn)。さて、今度は宇宙の彼方で実験を続ける同社の宇宙船のAIにトラブルが発生。原因を究明すべくクインは再び宇宙船の操舵を握るよう命じられる。だが、彼はまたもや宇宙船と共に姿を暗した。そして舞台は異次元へ。クインがたどり着いた場所は、タリグ(Tarig)という神の種族が地球の文明を模倣することによって作り上げた異世界エンタイア(Entire)だった。前回の失踪の間、クインは自分がこの異世界にいたことを思い出す。そう、彼は再びこの世界に戻ってきたのだ……。


各種レビューをざっと見たところ、この「エンタイア」の概念が下記に紹介したラリイ・二―ヴンの「リングワールド」と通じるものがあるとする評がいくつかあった。だが、「リングワールド」が物理法則の上に成り立ち、科学的な論拠で説明可能な世界である一方、「エンタイア」はそうした物理法則そのものが崩され、世界の成り立ち、すなわち神話部分から築かれる。
ここにファンタジーとSFの線引きを見てとる事ができるだろう。つまり、一般的な物理法則が通じるか、否かである。この作品は、地球の部分を「SF」とし、エンタイアの部分を「ファンタジー」として組み立てることで、この二つを融合させようと試みる野心作なのだ。
また主人公クインは多くのレビューでアンチ・ヒーローと冠されているが、なるほどかなりねじくれた性格設定となっていて、なかなか楽しめる。弟夫婦との関わりを描く場面なども、心理ドラマにある肌理の細かい感触があり好感が持てる。いや……持った。持っていた。が。

ストーリーが本格的に展開し始め、エンタイア内の権力闘争に加えて、エンタイア、地球間の宇宙戦争の勃発が兆しを見せる段階になると、主人公のアクションヒーロー的要素が一気に強くなる。私が好感を抱いた落ち着きのある雰囲気もいつの間にやら消えうせた。先へと読み進めるうちに不安が募りはじめる。物語や主人公のこれからというよりも、作者が今後これをどう処理するのかが気にかかるのだ。こうした不安を読者に抱かせるのはちょっとまずい。「エンタイア」の世界観も大まかには掴めるのだが、説明が不十分なせいか読み手にはっきりと伝わらないところがある。

面白いことは面白い。二ジャンルの融合という高いハードルに挑む姿勢も評価したい、が、全四巻の一冊目を読み終わり、さて茶でも入れるかという気分である。うん、まあ、そうだね、気が向いたら続きを読もうか。

評点

読んでしまったクマ~度 ☆☆☆
もうこの世界に入ってしまいたい。もう現世には戻りたくない度 ☆☆☆
出家托鉢度 ☆☆☆
梵書度 ☆
バスタブ水没度 ☆☆
積んどく度 ☆☆☆




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