ENDOR雑記

束、洋書関連の個人的メモ書き。

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取りとめのない宗教ぽい話(一応ハイぺリオンの感想の一部)


ダン・シモンズのハイぺリオンシリーズは、異教的な神話があれこれと寄せ集められ、非常に入り組んだ形状をなしている。だが、根本にあるものは明らかにアダムとイブの創世神話、そして黙示録だ。ジーンウルフの『新太陽の書』シリーズも然り。どちらも凄まじいボリュームでハイぺリオンシリーズは全四巻、2019ページ。ジーン・ウルフの新しい太陽の書シリーズも全五巻に続編付き。圧倒される。

超長いSF作品は勿論日本にもあるが、どちらかといえば筆の勢いに任せて、大河の水が流れる如くどどーーーっつと書かれている印象がある。だが、ダン・シモンズやジーン・ウルフは違う。二重三重に伏線を張り、凝った仕掛けを盛りだくさん詰め込み、過去の文芸作品へのオマージュ、パロディをちりばめる。作者が作品につぎ込んだ知的作業量がどれほどのものかを考えると気が遠くなる。

私自身は一応仏教徒である。「一応」がつくのは、別段これといった信仰生活を送っているわけではないからだ。それでも死んだときには先祖と同じく、念仏を唱えてもらって仏式の墓に入るだろうし、そうしてくれてOkと思っている。私が自らを仏教徒と称する理由は基本それだけだ。もっとも普通の家庭よりは、お説教や念仏に触れる機会が多い環境に育ったので、なんらかの形で自分の中に沁みついてるものがあるだろう。自身がもっと差し迫った極限状態(借金地獄とか、余命数カ月とかその他諸々の不幸な状態)に置かれたなら、慌てて『歎異抄』なんぞを読み出すんじゃないかと思うが、現在のところは特にホトケサマを意識することなく平穏な日々を送っている。そういやどっかで、キリスト教の神は、困った時に助けの手を差し伸べてくれるありがたい神様ではなく、人間の原罪を罰する存在なのだということを読んだ気がする。だとするなら、アブラハムの宗教における信仰と、仏教における信仰は同じ「信仰」という言葉を使ってもその本質は全く異なるものなのかも知れないな。まあ、それはちょっと横に置いといて。ともかく、こうした一応自称仏教徒の立ち位置から、宗教云々の諸々を書いている。話を戻そう。

日本で一番信徒数が多いのが仏教だと、大昔社会の授業で習った気がする。だが大衆的な文学や漫画で、仏教を全面なテーマとして大ヒットを飛ばした作品が果たしてあるだろうか。手塚治虫の『火の鳥』、『ブッダ』があるか。でももう随分古い。日本だけではなく世界的規模のマーケットで考えてみても、あまり思い付かない。

比べてどうだろうアブラハム宗教の繁盛ぶりは! 『ダヴィンチ・コード』や『パッション』といった明らかにキリスト教をテーマとしたものから、もっと通俗的な、吸血鬼や悪魔払いといったオカルトの類まで。現在、アブラハムの宗教(中でも圧倒的にキリスト教)を核とする文化的産物のアウトプット量は他の宗教を遥かに凌ぐのではないだろうか。一体これは何なのだろう。

勿論アウトプットの産物は玉石混交だが、玉に値するものは物凄く面白い。素晴らしいと思う。素晴らしいと感嘆しつつも何故にそこまで……と首をひねりたくなるのだ。

それだけアブラハムの宗教は強力なのだと結論付けることもできるが、私はそうは思わない。昔のものはともかく、近年の作品群では、この現世で教義をどのように生かし広めていくかといった要素はどちらかといえば二次的なもので、主な関心は別のところに向いているように思う。例えば『ダヴィンチ・コード』のテーマはキリストのイコンにおける「異教」的解釈の可能性だし、『ライラの冒険』は、表立ったテーマではないものの、その底には現在のキリスト教に対する批判があるだろう。
ダン・シモンズとジーン・ウルフの場合、アダムとイブの創世神話の枠組みの中から新しい神(の子)を捻り出そうと苦心惨憺しているように感じられる。付け加えるが、『ハイぺリオン』シリーズと『新太陽の書』を並列させているのは両者とも「SF」であり、なおかつ上記の共通項目があるように感じられる、という理由以外にない。両者は本質的に異なるタイプの作家だと思う。

これら作品群に共通する特徴は現時点にある一般的な社会、世界との関わりが希薄なことだ。創世にしろ終末にしろ遠すぎる。キリスト教内部のごたごたも普通の人々にとってはへえ、そんなことがあるんだなあ……ぐらいのものではないだろうか。

私のもやもやした疑問を出来るだけ形にしてみるとこうなる。人々を魅了させる素晴らしい作品を生み出す人達、才能に満ち溢れた精力的な人達が、(聖職者というわけでもないのに)何故にここまで宗教的な事柄、しかも現実社会とはかけ離れた事柄に膨大なエネルギーを注ぎこむことが出来るのか? そしてその宗教がおしなべて「アブラハムの宗教(のキリスト教)」なのか? とういうことだ。

ハイぺリオンシリーズを読了した時、これはひょっとしたら、ある種の精神的な根源への回帰願望であり遥かなる未来への逃避かも知れないという考えが頭をよぎった。つまり創世神話――「精神的な根源」への回帰願望と、黙示録――「遠すぎる未来」への逃避。そして、この二つは新太陽の書シリーズにも通じるのではないかと。

日本文化における回帰願望は精神的な幼児化(ネオテニーとかちょっと前によく言われていたよね。そういうことを言いたい)として表現された。それに比較してみた場合、彼等の作品に幼児化や退行は見られない。大昔の謎に取り組み、遠すぎる未来に解明をもたらすための知的な、そして真撃な表現だ。しかし、解明というよりはむしろ更に謎をこしらえて余計(もしかしたら「あえて」?)問題を複雑にしてしまっているように見えるのは何故だろう?

彼等が作品の中に捩じ込んだ謎かけを、信仰、神話の基盤を異にする私が解き明かすことは永遠に不可能だろう。頭が良かったら、とか時間があったらとか、その他考え得るあらゆるifを私に付け足しても。

だから、私にとって彼等の情熱が意味不明で理解不可解であっても無理からぬことなのかもしれない。彼等の作品に圧倒され、凄い凄いと感心しながら傍観しているだけで十分楽しい。それでもだ。

なんでここまで? と思う。そして中空を見たりする。







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ハイぺリオン ハイぺリオンの没落 by ダン・シモンズ



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『ハイペリオン』 - 1990年ヒューゴー賞、ローカス賞受賞。1995年第26回星雲賞海外長編賞受賞
『ハイペリオンの没落』 - 1991年ローカス賞受賞。1992年イギリスSF協会賞受賞。1996年第27回星雲賞海外長編賞受賞
上記の二作の後、『エンディミオン』『エンディミオンの覚醒』と続いてようやく完成する。エンディミオンはまた機会があれば読もうと思うが、ハイぺリオンの二部作だけでも相当にボリュームがあり、内容も濃ゆい。質実共に超のつく大作の名にふさわしい作品なのだろう。

序章ともいえる『ハイぺリオン』は、選ばれた六人の巡礼者が、辺境惑星ハイぺリオンにある「時間の墓標」に向かう旅路で、順番に各自の物語を語る形式を取っている。ひとつひとつが完結した物語で其々面白いことは面白いが、各物語間の繋がりが見えてくるまで、ちょっとまどろっこしい。だが六つのストーリが繋ぎ合わされ、一つの視点から様々な謎が明らかにされてゆく『ハイぺリオンの没落』の後半は圧巻の一言。『神曲』の地獄篇をも凌がんと、阿鼻叫喚の地獄絵図が連発花火のごとくに放たれる。エネルギッシュな展開に圧倒されまくりだったが、あんまりにも連続でおいでなさるので、途中で作者の意図するイメージを自分の頭の中に構築するのが面倒くさくなってしまった。すんません。

重厚で格調高い雰囲気を保ちながら、緻密な描写で明確なイメージを形成する文体は魅力的だ。物語構成も複雑で、中には禅問答のような部分もあったりするのだが、いわゆる「難解」な作品ではない。SFで難解というとジーン・ウルフしか思いつかないが、ウルフの場合、一読では何が言いたいのかさっぱり分からないエピソードや物語の下に作者の意図が埋め込まれていて、それが浮き彫りの彫刻のように触覚として感じられる……気がする。ただ私は作者の意図をきちんと読みとれるほどの知識知力に欠ける上に、複雑怪奇な謎の解読に時間を費やす気力もない。

ハイぺリオン二部作の場合、文章を追って行けば大体は意味が掴めるし、分からない部分をとばしても、物語を読み進める妨げにはならない。この作品の難解さは、エンターテイメントの領域内で深遠な雰囲気を醸し出すための演出にとどまっているように思える。そして、まあ最終的には万人が納得のゆくところに落ち着くのだ。これだけ大風呂敷を広げておいてなんだよ、と苦言を呈する人もいるだろうが。

ともかく作者が持てる全エネルギーを投じて書き上げた作品だ。一文一文に漲る力が十分過ぎる位に伝わってくる。大衆向けのエンターテイメントとしては重すぎる気がするが、私個人としては非常に楽しい時間を過ごさせてもらった。もっとも、ウェブのレビュー等をざっと見れば、誰しもが絶賛しているわけではないことが分かる。欠点もいくつか指摘されている。

私が気になった点は二つ。一つは登場人物達に人間的な魅力が乏しく感じられること。『ハイぺリオン』は結構だるかったんだが、私がそう感じた要因として、まず、どのキャラに対してもこれといった思い入れを持てなかったことが挙げられる。プロットの段階で行ったキャラ設定そのまんまで、捻りを何ひとつ加えずに書いてしまったんじゃないかと思うほど。誰か一人でもいい。あと少しの人間的な深みを持つ、出来るならば「萌え」られるキャラが欲しいところだ。

もう一つは長すぎること。半分ぐらいでいいんでないかい?


ところでハイぺリオン二部作は(おそらくはその後のエンディミオンも)、宗教的な要素が濃厚で、中でもキリスト教的な――というよりはそれ以前のアブラハムの宗教における神話が主軸となって全体を貫いている。つらつらと読みながら、何ゆえに作者はそこまで「アブラハムの神」にこだわるのかという疑問が沸き上がってしょうがなかった。この疑問を種として、グダグダな思考が芋蔓式に繁殖してしまったので、それについてまた日を改めて書こうと思う。


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