ENDOR雑記

束、洋書関連の個人的メモ書き。

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「Tolkien and the Invention of Myth: A Reader」論文その2


Sandra Ballif Straubhaar

Myth, Late Roman History, Multiculturalism in Tolkien's Middle-Earth
トールキンの中つ国における神話、後期のローマの歴史、多文化主義

まず導入部でタキトゥスの「ゲルマニア」の中にあるゲルマン人の描写が引用され、当時のローマ人のゲルマン人に対する見方が紹介されます。
この「ゲルマニア」でタキトゥスが語るゲルマン人は、ゴンドールの人が語るローハンの人と共通した特徴があるのです。
「ゲルマニア」の中では、「ゲルマン人は、野性的で、青い目、赤っぽい髪、そして背が高い。また熱と乾きに弱く、寒さと餓えに耐える民族である」という記述があります。
指輪物語でファラミアもローハンの人々を「丈高い男達も、美しい女達も勇敢であり、金色の髪と、晴れやかな目を持ち、力も強い」と述べています。

R.C. Blockleyという人の論文によると、ローマ人と野蛮人(ゲルマン人を含む)との間でも結婚するケースがあったようなのですが、それが王族間の婚姻であった場合、しばしば不幸な結果を招じたそうです。しかし、そうした異民族間の婚姻は引き続き行われ、次第に受け入れられるようになったようです。
こうしたローマ帝国の市民と異民族の婚姻は、指輪物語にも反映されています。
まず、ゴンドールの王子ヴァラカールと北国人の王の娘、ヴィドゥマヴィとの結婚です。
この結婚は後に同族争いの元になった不幸な失敗例です。
成功例は、ファラミアとエオウィンの結婚です。彼等の結婚はヴァラカールとヴィドゥマヴィよりずっと後の事です。この点においても、ゴンドールはローマ帝国の歴史を反映しているといえるでしょう。

「ゲルマニア」の中でゲルマン人は野蛮人として見下される一方、その勇気や忠誠心が褒め称えられています。アラゴルンもローハンの民を誇り高い勇敢な民族と讃えています。(ここには、第8週で紹介された、18世紀のジャンジャック・ルソー「高貴な野蛮人」の思想が見られる気がします)
こうしたことから、高い文明を持つ種族(ヌメノール)の血に原初の力強さを有する北方人(ローハン)の血統、文化が混じることにより、より良い結果が生じるという多文化主義の思想が反映されていることが窺えるのです。

なるほどーー。
さて、ここから少しばかり自分の考察を書いてみます。

この論文を読みながら、トールキン神話の中の異種族間の結婚にどんなものがあったか、ぼんやりと思い浮かべてました。
例を挙げてみます。
アラゴルン―アルウェン
べレン―ルーシアン
トゥオル―イドリル
シンゴル―メリアン

これを見て何か感じませんか?
どれも上位とされる種族の女性が自身よりも下位の種族の男性と結ばれているのです。
日本で言う降嫁と似たような感じですね。東西を問わず、こうした婚姻の形は政略的によく見られるものだと思います。

ファラミアとエオウィンの結婚はこうした因習的な枠組みから外れるようにも見えますが、実のところそう単純ではないと思います。
二人の結婚はアラゴルンとアルウェンが結ばれた後に行われているからです。
つまり、二人が結婚した時にはファラミアはすでにゴンドールの主権をアラゴルンに譲り、アラゴルンがゴンドールの王として王国を統べていたことになります。
ファラミアはゴンドールの主権から退いているので、その地位は下りローハンの姫君との結婚もさほど身分違いではないのではないかと私は思います。

一方アラゴルンは薄れてしまったヌメノールの血筋にアルウェンを迎えることで、その子孫により濃いエルフの血を復活させます。
もともとヌメノールの血筋が尊ばれるのは、エルフの血が混じっていたからです。アラゴルンは二重の意味で古の王政を復活させているのです。

こうした事を考えれば、トールキンは諸手を上げて異種族間結婚を賞賛しているわけではないように思えます。
ファラミアとエオウィンの結婚は同等の身分同士の異種族結婚であり、身分が違うと思われる異種族間の結婚は、上位の女性と下位の男性という形に限られているのではないでしょうか?エルフの男性と人間の女性が結婚した例が果たしてあるでしょうか?
今では時代錯誤と言える古代の、特に母系を通じた高貴な血統への憧れが、意識的にせよ無意識的にせよトールキンの作品の中にあるような気がしてならないのです。
そして、こうした憧れはいわゆる「人種差別」、や「性差別」とはまた質が異なるものだと私は思います。むしろそれはかつてあった黄金の日々への憧憬でありノスタルジーなのではないでしょうか。

もう一つDrout氏の論文を紹介したいと思いますが、それはまた連休開けにでも…。

category: トールキンオンライン講座 エッセイ

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