ENDOR雑記

束、洋書関連の個人的メモ書き。

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教授、ケレゴルムとマグロールとベレンとル―シエンの話がよくわかりません

(この記事は2016年4月6日のTolkien Writing Dayに参加しています!!)

四月六日はエルフ新年かつサムの誕生日だそうです。

未邦訳稿を紐解きつつブログを書かれている方もいらっしゃるでしょうか...(= =) トオイメ目

ところで、出版された『ホビット』、『指輪物語』、はともかく、トールキン教授(以下教授)の中つ国神話諸草稿を読むに当たって発せられると予想される呟きに、
「またかよ」
ってのがあります。
基本同じ話を、出版決まってないからといって、あれこれ手法を変えて何回も描き直す教授。
さっさと出版してしまえばよかったのよアンウィンさん……。

そんなわけで
「ベレンとルーシエン」的な話が古いのでは二つぐらいあります。
ひとつめは ”The History of Middle-earth” の二巻にあるもので、その次が、三巻にある‟The Lay of Leithian"です(1*)。

というわけで
今回は「ベレンとルーシエン」の話がテーマ



ではありませんΣ(゚д゚lll)ガーン。

これまた何種類かある‟The Lay of Leithian"の草稿がテーマです……。
導入部クリストファさんが初期草稿をいくつか紹介してるんですがその中でなんか変なのが

なんか変なのが

あるのです……(DELRAY版で194ページぐらい)。

それは草稿Aと名付けられた短いものです。なにが変なのかというと
まず、ベレリアンド(ブロセリアンド)の金髪エルフ王がケレゴルムです。
娘が金髪のメリロットです。
求婚者がイグノール(Egnor)の息子マグロールです。

シンゴルがケレゴルム?
メリロットがルーシエンで金髪?
そしてマグロールがベレンっていったいこれはなんなんだ?
解説してるクリストファさんも解釈に苦しんでいる様子です。

ですが、この短い草稿は多分「ベレンとルーシエンのお話し」ではないんじゃない?
てゆーのがオルセン教授




「だーって、ルーシエンが金髪なんてありえなーいい!! モデル奥さんなんだから!! 奥さんが清書してんだから!! ないでしょ!!」ですと!

では一体これはなんなんですか?

「これはね、オリジナルか脚色かわかんないけど、なんかの詩(ブレトンレイ)として書いたんだよ(多分)。『航海譚(2*)』とかあるじゃん、『領主と奥方の物語(3*)』とかもあるじゃん、あれみたいに~(⌒∇⌒)」

そ、そーなんですかオルセンさん。
そう考えてるのはオルセン教授だけではなくて、ウェブでサーチしたら下記の論文にも同様のことが書かれていました。

Alyssa House-Thomas
Professors T. Shippey and N. Goering In Search of Asterisk-Poetry: The Lay of Leithian as Breton lai


それではどんな物語を書くつもりだったのでしょう?
「わっかんないね!(^.^)」
ってオルセン教授。

しかしキーワードはありますがな。



まず初期のベレリアンドとしても使われていた地名
ブロセリアンド(broceliande)
(ウィキにリンクさせてます)が出てくること。
ブロセリアンドはアーサー王伝説と関わりの深い地名なので、おそらくアーサー王伝説にからんだ何か
あと、王女の名前がメリロット(Melilot)
ホビットの名前としてもでてくるみたいです。
この名前、植物なんですが、語源を溯るとMeliが蜜で、liotがロータス、つまり蓮なんだそうな。
すごく平沢進ぽい気がしますが、日本名はセイヨウエビラハギです。

話はそれましたが、要はルーシエンがナイチンゲールで鳥類なら、こちらはメリロットで植物的な要素を絡めた、かつ、金髪の妖精王がいる、アーサー王伝説的な妖精物語を書こうとしたのではないかと思います。
マグロールのベレン的な活躍があるかと思うとわくわくしますねヾ(*´∀`*)ノ

ケレゴルムが金髪で、マグロールに妻がいたっていうのも、もしかしたら、この書かれざる物語詩の残滓だったりして。
もっとも全忘却の河の彼方にある可能性もありますが。


メリロットのフリー画像探せなんだので、菜の花なんぞ
入れておくわね……

菜の花


参考文献

(1*)The History of Middle-earth Ⅲ The Lays of Beleriand by J.R.R.Tolkien
amazon
(2*)『航海譚』(Imram) J. R. R. Tolkien, 辺見葉子訳 ユリイカ(2002年4月臨時増刊号)
(3*)『領主と奥方の物語』(The Lay of Aotrou and Itroun) J. R. R. Tolkien, 辺見葉子訳ユリイカ(1992年7月号)

菜の花画像お借りしました→http://digibibo.com/blog-entry-1716.html

category: トールキン関連

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1937年12月16日の手紙より……その2: トールキンはケルトが好き? 嫌い?


前回と引き続き、さやうぇんさん主催のトールキンが好きな人のためのアドベントカレンダー
に参加しています(*´▽`*)

それでは、1937年12月16日の手紙から、トールキンはケルトが好き? 嫌い? (;^ω^)

とりあえず、手紙の中で、
Needless to say they are not Celtic!
と叫んだのは何故か? 

からいきましょう。

まず、これは
「シルマリルリオン」はケルティックである」
という読者の感想を受けての発言だということを念頭に置かねばなりません。そして実はその理由ははっきりしています。

トールキンの創作神話「シルマリルリオン」は、アングロサクソン系を始祖とする祖国イングランドのためのもので、ケルト系のウェールズやスコットランドのためのものではないからです。

「シルマリルの物語」の序文を引用してみます。

「我が国には、自分のものと言える(つまり英語という言葉と、イギリスという国土に結びついた)物語がありませんでした。(中略)もちろん、アーサー王伝説の世界はありました。今もあります。確かに強力な存在ですが、完全にイギリスのものかというと、そうではありません。」

邦訳ではイギリスとなっているので、少し混乱しますが、その歴史を激しく大ざっぱに要点だけかいつまむと下記になります。↓

 ブリトン島の歴史
 石器時代、人種不明。
 BC700年頃、ケルト人が大陸から渡来。
 4世紀     西部からアイルランド人、東部からサクソン人、アングロサクソン人渡来。
 9世紀    ノルマン人来寇

他にも細かいことは当然あるのですが割愛します(し過ぎてるけど)。

このサクソン人、アングロサクソン人を祖とする国(イギリスの中核をなす地方)がイングランドです。トールキンの祖先はアングロサクソン人でした。上記の序文の中の「イギリス」は原文ではEnglishであり、大まかにはイングランドを指します。
トールキンは、イングランドのための神話、アングロサクソン人のための神話を作りたかったということです。

トールキンの「シルマリルリオン」がケルト風であると評した読者の感想には、
it has something of that mad, bright-eyed beaty that perplexes all Anglo-Saxons in face of Celtic art
とありました。

簡単に訳しますと。
「いかれたような輝く目をした美しさといったなにかがあるが、ケルト風芸術を目の当たりにして、アングロサクソン人は困惑させられるだろう」
いやそのアングロサクソン人のために書いた神話なんです。
これは、ご本人にとってあまりにも不本意な反応だったことでしょう。そりゃー Not Celtic! と叫びたくなりますよね……。

では本題

トールキンはケルトが好き? 嫌い?(ブチブチ←花びらをむしる効果音)



上記の序文の続きを見てみましょう。

「それは私にとって望ましい資質をそなえていなければなりません。冷涼で澄明なもの、私たちの国の、”大気”のかぐわしく匂うものでなければなりません。それは、時にケルト的と呼ばれる、魅力的な、とらえがたい美(といっても、純粋な古代ケルトの書物には滅多に見いだされないものではあるのですが)を所有すると同時に、粗野なものが取り除かれた、’格調高いものでなければなりませんし……」

(;゚Д゚)

教授、1937年の手紙と全然反対のこと言ってる……。


と驚くのは早計です。

「……時にケルト的と呼ばれる、魅力的な、とらえがたい美(といっても、純粋な古代ケルトの書物には滅多に見いだされないものではあるのですが)……。」
に注目してみましょう。
ここには時にケルト的と呼ばれる、魅力的な、とらえがたい美
とあり、
純粋な古代ケルトの書物には滅多に見いだされないもの
との対比が見られます。

つまり、トールキンが目指したのは、「ケルト的なもの」でり、ケルト文化(あるいは神話)そのものではないのです。ではその「ケルト的なもの」とは何でしょう。

カーディフ大学の講師ディミトラ・フィミ氏の、トールキンとケルトに標準をあてた論文、
“Mad” Elves and “Elusive Beauty”: Some Celtic Strands of Tolkien’s Mythology
に、その解答が示されています。

まず、トールキンの「English and Welsh」から下記が引用されています。、
Beowulf sounds much more "Celtic" since it is "full of dark and twilight, and laden with sorrow and regret" than any original Celtic material 
(私訳:べーオウルフは「闇と薄明に満ち、悲しみと後悔に覆われているからこそ、大本のケルトのものよりもより『ケルト風』である)

そして、Fimi氏は、トールキンの言うケルトの「とらえがたい美(Elusive beauty)について

and it is here, I think, quite clear that he refers exactly to the romantic idea of ―Celticness, with its supposedly sorrowful tone and twilight setting,
(私訳:ここでトールキンが言わんとしていることは、ロマンティックなケルト的観念、すなわち 悲嘆に満ちた、薄明の中にあるとされているものでしょう)

と説明しています。

具体的には、

ラッカムのアーサー王の挿絵

みたいな感じでしょうか? フィミ氏は他にも、バーン・ジョーンズ、ウィリアム・モリスの名前を挙げていました。つまり、19世紀のラファエロ前派的な雰囲気を思い描けば大体合っていそうです。要はアレンジされたケルト風ということのようです。

では、トールキンの嫌いなケルトを見つけてみましょう。
それは、「純粋な古代ケルトの書物にひんぱんに見いだされるもの」で、「(ロマンティックなケルトから)取り除かれた粗野なもの」で、
「鮮明でありながら、割れた色硝子のように無秩序であるように思えるもの」です。

フィミ氏によると、bright coler(鮮明)は、例えではなく、ケルト神話によく出てくる原色のことを指しているとのことです。また、トールキンはよくケルトを「魔法の袋」と例え、なにか放り込むと、どんなものでも出てくる、と批判しています。おそらくは、その無節操さを嫌ったのではないかと。

もっともその好き嫌いの傾向は年を経るにしたがって、ケルトにより好意的な方に傾いていったようですが。

そして、もともと好きだったウェールズ語がもっと好きに(o^―^o)ニコ


最後に、ウェールズ語とアイルランド語について少し。

ケルト系の言葉は数多くあります。トールキンが最も愛したのはウェールズ語であることは確かでしょう。しかしあまり好きでない言葉もあるのです。
それは……


アイリッシュ

ですΣ(゚д゚lll)ガーン。ゲール語といった方が分かりやすいかもしれませんが。

1955年10月の講義より
I go frequently to Ireland (Eire: Southern Ireland) being fond of it and of (most of) its people; but the Irish language I find wholly unattractive.”(私はしばしばアイルランドに行くが、その地や人々は大体好きなのだが、アイルランドの言葉にはまったく魅力を感じない)

1967年8月の手紙には
I have no liking at all for Gaelic from Old Irish downwards, as a language,(私は言語的に、古アイルランドを祖とするゲール語は好まない)

(っω・`。)


まとめましょう。

1937年の手紙のケルト嫌い発言は
1.そもそも「シルマリルリオン」はアングロサクソンのための神話だった。
2.ロマンティックにアレンジされたケルトは好きだけど、原色きらきらで矛盾だらけの古代ケルトは好みじゃない。
3.おなじケルト系の言葉でもウェールズは好き。アイリッシュは……どうもダメ。


てな感じでしょうか。まったくややこしい人ですね!!


・‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥…━━━☆

長々と書いてしまいましたが、
ここまでお付き合いありがとうございます! これでも短くしたのです!!

もっとこのモリアの奥を掘り進みたいかたは下記をご参照くださいませ。フフフ……。




Fim氏のインタビュー

トールキンとアイルランド






字ばっかりで寂しいので最後に私の好きなバーン=ジョーンズ(教授も好きだと思う……)↓
私の好きなバーン=ジョーンズ(教授も好きだと思う)


category: トールキン関連

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1937年12月16日の手紙より……:トールキンはケルトがお嫌い(@_@)??

今回はさやうぇんさん主催の
トールキンが好きな人のためのアドベントカレンダー
に参加しています(*´▽`*)

未邦訳の書簡集の中から、本日の手紙を紹介いたしましょう。、
さて、88年前の今日、トールキン氏は一体どんな手紙をしたためていたのでしょう……(o^―^o)ニコ

・‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥…━━━☆

1937年、日付は12月16日書簡集No.19。宛先は、ホビット出版元の社長、スタンレー・アンウィン氏です。ホビットがめでたく刊行され、売り上げも好調で、アンウィン氏はトールキンの次作を強く望んでいました。この手紙の数か月前、トールキンはすでに書き上げていた初期版シルマリルリオンをアンウィン氏に送っています。その原稿をアンウィン氏は数名の読者に試読させ、彼らから得た批評および感想をトールキンに渡していました。さて、その反応や如何に……。
以下に本文を要約いたします。多少砕いた感じになっておりますが、お許しの程をペコリ(o_ _)o))


体調不良および、諸事情により、筆不精をお許しいただきたく。
お送りしたシルマリルリオンが拒絶の憂き目を免れたようで、いたく安堵しております。
いつの日かこのシルマリルリオンを世に出したいと強く願うようになりました。

しかし、しかしあの「名前」については貴社の読者を大変驚かせてしまったようで……
……でも、あれはあれでよいのです。二つの言語(自作言語)から成り立っているのですから。
でも……

あれはケルト風(Celtic)ではないのです! 物語も言語も間違ってもケルト風では……!!。

ケルト風に関しては幾許かの知識はありますが、私自身どうにも不合理に感じてしまい楽めないのです(はっきり言って嫌い)
ケルトは鮮明でありながら、割れた色硝子のように無秩序であるように思えます。つまり、読者の言うがごとく「狂って」いるのです。でも私は狂ってはいませんから。

ともかくあの文体が目的にかなったものであることが分かって、私は実に励まされました

私が送った作品は貴社の期待に沿うものではないと分かってはいたのですが、少なくとも、個人的な価値以外があるかどうか知りたかったのです。もちろん、「ホビット」の続編なるものが求められていることは承知しております。けれども、私の心はこの創作神話と二つの創作言語でほぼ一杯であることを分かっていただきたいのです。
ホビットの続編はごにょごにょ(意訳です
善処いたします(意訳です)。
コメディ的なものは、もっと子供向けにしないと野暮ったくなりそうだ。
しかしオークや竜の本領発揮は、まだまだこれからです。
ご期待あれ!

(以降全文意訳です

送ったイラスト返してくださいね……講義で使う予定なんです。
あと、ホビット何冊か著作者用のお値段で分けてくださいませんか? クリスマスプレゼント用に……。
ではよい航海を! 私はラジオに出る予定です! よろしく!

J.R.R.Tolkien



と、本文はここまでです。
終わり

よいクリスマスを!!

では終わりません(*´Д`*) ごめんよ〰

少し内容に踏み込んでいきましょう ズカズカ


ホビットの次作を期待したアンウィン社に送ったのは、現在『シルマリルの物語』として出版されている物語の初期草稿(シルマリルリオン)だったのです。そして、読者の反応はといえば、当然かなり戸惑った様子で、ある読者は「ケルト風であり、アングロサクソン人は困惑するだろう」といったものでした。

それで、トールキンは
Not Celtic!
と猛反発しているのです。

しかし、これは、トールキンの創作言語に興味をお持ちの方、PJ映画で音楽に興味を持たれた方はきっとびっくりされたのではないでしょうか。
→あれはケルト風(Celtic)ではないのです! 物語も言語も間違ってもケルト風では……!!。
(え、指輪物語ってケルト風じゃないの???)
→ケルト風にしては幾許かの知識はありますが、私自身どうにも不合理に感じてしまい楽めないのです(はっきり言って嫌い)
となるともう(え。どーゆーこと?! 嫌いって??? )

って疑問符いっぱいつけたくなるのでは……。

訳文が怪しいかもしれないので原文引用しますね。

*

(原文)
Needless to say they are not Celtic! Neither are the tales.
I do know Celtic things (many in their original language Irish and Welsh). and feel for them a certain distaste:largely for their fandamental unreason. They have bright color, but are like broken stained glass window reassembled without design. They are in fact 'mad' as your reader says--but I don't believe I am.

(拙訳)
あれはケルト風(Celtic)ではないのです! 物語も言語も間違ってもケルト風では……!!。

ケルト風にしては幾許かの知識はありますが、私自身どうにも不合理に感じてしまい楽めないのです(はっきり言って嫌い)
ケルトは鮮明でありながら、割れた色硝子のように無秩序であるように思えます。つまり、そなたの読者の言うがごとく「狂って」いるのです。でも私は狂ってはませんから。

*

このケルトに対する嫌悪を表明した一文をちょっと読み込んでいきましょう。

映画では、エンヤ等のケルト系フォルクロールの歌手が起用され、騎馬文化のローハンを描くにあたり、ケルト文様があしらわれていました。
また教授の創作言語でも、ケルト系の言語の影響は明らかです。
トールキン研究でもみなさまご存じの辺見葉子氏の論文から少し引用してみましょう。

「より具体的に言うならば、ウェールズ語(ケルト系言語)の音韻体系をモデルにトールキンが創造したシンダリンというエルフ語から作られているという意味である。」

とあります。

こうなると、言語学者たるトールキンが、創作言語シンダリンと密接に関連する「シルマリルリオン」で、作風がCelticであることを強く否定するのは実に理解しがたいのです。

単なる気まぐれか? あるいは、トールキンのケルト観があるとき180度変遷したのか?

これはローハン文化と、創作言語(エルフ語)からの観点だけでは切り崩せない壁のようです。


長くなりそうなので一旦分けましょう。

次回、この壁をベガーしていきます。キーワードは「神話、イングランド」です。

よろしくお願いします(o*。_。)oペコッ










category: トールキン関連

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Against a Dwarf その9




さておき、さておき、

これまでドワーフのおまじない、“Against a Dwarf”に関するマシューさんの論文を長々と説明してきたわけですが、

またしてもここで論文かよというか、


http://www.thefreelibrary.com/Dwarves,+spiders,+and+murky+woods%3A+J.R.R.+Tolkien's+wonderful+web+of...-a0242509655

とゆーのがあって

これが題名からして、“Dwarves, spiders, and murky woods: J.R.R. Tolkien's wonderful web of words”.

で、トールキン好き様方ならばちょっと読んでみたくなるような題名でしょう。割と短いんで読んでみてww


ここでのポイント:束教授は、おそらくAgainst a Dwarf のお呪いも、蜘蛛とドワーフの関連性も知っていただろうというところ。

ホビットにしろ、指輪物語にしろ束教授はドワーフにある種の親しみを持っていたご様子が伺えるが、その一方で、蜘蛛は大嫌い。

そんな教授が蜘蛛とドワーフの関連性を知った時のお気持ちは、察するに余りある。

数々の作品に敵役として度々登場する、シェロブ、ウンゴリアント、しゃべる大蜘蛛……。

ドワーフさんたちが蜘蛛の糸でぐるぐる巻きにされ、フロドもぐるぐる巻きにされ、メルコールも、メルコールも、ウンゴリアントにロックかまされて絶叫してるんだが……これだけ何か違う感漂いまくっているな。

只管に巨大でグロテスクで、理性も知性もある程度持ち合わせてはいるが、それらは欲望に隷属し、繁殖力が半端ない。教授の竜が時折有しているある種の精神性も乏しいように思える。

それらは敵側と言うよりも、原初の闇に属する化け物だ。

だが、一方で蜘蛛とドワーフの共通性とされる技巧。それが生み出す蜘蛛の巣のモチーフは、闇の勢力に属するだけでなく、他の種族が技が生み出す様々なモチーフにも与えられているように思える。


例えば、ミスリルの鎖帷子

“It was close -woven of many rings, as supple almost as linen, cold as ice, and harder than steel. It shone like moonlit silver, and was studded with white gems.”

この描写はどことなく朝露を纏った蜘蛛の巣を彷彿とさせないだろうか?

エルフのロープ、ヒスラインのロープも、どことなく蜘蛛の糸を思い出させる。

“Slender they looked, but strong, silken to the touch. grey of hue like the elven-cloaks.

またビルボの手書きの文字は悪筆で、
“When he wrote himself it was a bit thin and spidery."

とある。

束教授の頭に、蜘蛛とドワーフの言語学的、民話的関連性が念頭にあったのなら、こうしたモチーフに蜘蛛の巣の特性を付与した意図は何なのだろうか?


ドワーフ、エルフを闇の種族ではなく、光(というかメルコールと敵対する側)にしたのは、教授の独自解釈である。

これは、エントのアイゼンガルド襲撃が、シェークスピアのマクベスに対するアイロニーであるのと同様、エルフやドワーフを闇の側に落としめてしまった“寓話”、“メルヒェン”に対するアイロニーではないかとわたしは思う。勿論それが全てではなくて、そういう一面もあるんじゃないかという事だけど。

蜘蛛を徹底的に敵役とし、ドワーフを光の側に組み入れることで、束世界のあるべき種族構成を確立する。その上で、それぞれの善なる種族に蜘蛛の巣の持つ(どちらかと言えば美的な)側面を忍ばせる。蜘蛛の優れた技巧は、ドワーフのみならず、エルフにすら通じる。

とするならば、束教授はなんと巧妙な作家だろうかと今さらながら驚くのだ。

専門とする文献学、言語学から得られたモチーフとその特性をそのままに使う事はない。反語的な使い方をするかと思えば、その歴史を忍ばせる要素をひそかに付加する。独自のあるいは稀有とも言える偏向。その偏向特性が時には水の入ったコップのように、光を分け美しい虹を作り、読者を幻惑する。



ただ単純に、庭仕事している時とか、ふと朝露の散った蜘蛛の巣を見て単純に美しいなと感嘆したのかもしれないけれどね。蜘蛛は大嫌いでも、ああこれはきれいだなと思ったのかもしれない。




ではではAgainst a Dwarfシリーズ(なのか?)これにてお終い。

ナマーリエ!








category: 読書感想

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六月は春の終わり。 Against a Dwarrf その8







六月ですね。蚊が出てきましたよ……。


蚊に噛まれたら 右手で胸の前に十字を切り、左手で額に卍を書いて、

粘着剤のついた透明なテープを棚から取り出し、1.5cmの長さに切り、

ドラドラキュッキュと三回唱えた後に、

患部にその小片を貼るが宜しい。

アーメン。

以上、蚊に噛まれた時のおまじないである(自作)。要はセロハンテープを貼ることである。

これ割と効くんだけど、痒くなくなって存在を忘れて風呂に入るとセロハンテープが。湯の中で、排水口あたりで、


前置きは以上。

さて、本体のお呪いである。


A spider-thing came on the scene
with his cloak in his hand; claiming you for his horse,
he put his cord on your neck. Then they began to cast off from land;
as soon as they left the land they nonetheless began to cool.
The beast's sister came on the scene;
she stopped it, and swore these oaths:
that this should never hurt the sick one,
nor any who tried to take this charm,
nor any who should speak this charm.
Amen. Fiat.

拙訳


蜘蛛の様なものがマントを手にやってくる。
お前は私の馬だと言い張りながら、お前の首にひもを掛ける。

それから彼等は岸を離れ始める。岸から離れるや否や、ともかくも冷たくなり始める。
そこに獣の姉(妹)がやってきて、それを止めさせる。そしてこの宣誓を誓う。

これは病んだものを決して傷付けはしない。
このお呪いを受けんとするものを
このお呪いを唱えるべきものを

アーメン 然り



まずは、“a spider-thing(蜘蛛の様なもの)”は何かというところから。

原語は“spindenwiht”だそうだ。“spider-person”、“spider-creature”とも訳される。

ズバリ言いましょう。これはドワーフのことを意味しています。

なんでやねん。

何故かと言うと、“dwarf”と“ spider”は言語的に、フォークロワ的に繋がっているからよ。


Gay also points out a folkloric and linguistic relationship between dwarfs and spiders,:


Gayさんという方が、ドワーフと蜘蛛の言語的かつ民俗伝承的な関係を指摘されているというのだ。


ドワさんはスウェーデン語ではdvergとゆーらしいー。この言葉はドワさんそのものを指す以外にもspeder(蜘蛛)の意味があるらしい。

あと、ブルトン語、ウェールズ語、コーンウォール語(ケルト語の一種)でもcorといって、やはりドワーフと蜘蛛両方を指す。 

言語的なところでは、成程なーと思う。

しかし、“民俗伝承的”な説明および根拠が見つからない。見つけられない。

ヤコブ・グリムの「Deutsche Myhologie」が大元らしいが……。

困った。誰か教えて下さらんか。

……ともかく時間のある時にもう少し掘り下げて調べようと思います。


次は獣の姉(妹)。これ一体誰?

原語は“dweores sweostar”であるが、これは原本が非常に判読しがたい状態にある故の、読み違いではないかとマシューさんは仰る。

“dweores sweostar”を“dwarf's sister”ではなく“eares sweostar” すなわち“the sister Earr”と解釈する学者もいるらしい。

何故なら、(蜘蛛/ドワーフ)的な生き物の悪行を止めさせるものが、その生き物の妹(姉)だったりするはずがないからだ。そして、“the sister Ear”は、夜明けの女神 “Eástre”だろうと言う。

この夜明けの女神“Eástre”はゲルマンの神らしい。春の女神でもある。なんでも最近はやりの『イースター』の語源がこの女神さまだという。ウィキさんを貼っておく。

→http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%A9%E6%B4%BB%E7%A5%AD

以上を踏まえてお呪いを再度解釈してみると

蜘蛛/ドワーフが、マント(蜘蛛の巣?)持ってやってきて、眠っているものの上に跨り、その者を馬にして(馬乗りになり、首にひもを掛けて苦しめ)、どこかに(海に? 夢の中に? 異世界に? )出て行こうとする、
すると、夜明けの女神がやってきて、それを止めさせ、苦しんでいる者を救う。

となる。

なるほど、細かい所はまず置いといて、大筋としてこのお呪いは“睡眠障害を克服するための自己暗示”だと納得できる。
 

ところで、“Eástre(エオストレ)”というと、アラゴルンの幼名エステルを思い出す束ファンもいらっしゃるだろう。

エステルはシンダール語で意味は“希望”。なんだかシンクロしているみたいで、けっこう嬉しい。

女神だけど……

女神だけど……!!





Against a Dwarf だいたいこんなところか。ふー。

次回はトールキンのお話を含めてまとめる予定でございます。


よろしゅうに。










category: 読書感想

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